想い続けられる人は救われる-気付けた2012。

2012年も、もう終わろうとしていますね。
想いを整理しないと、なんだか気持ち的に年をすっぱり越せないので、
言葉を綴ろうと思います。

「気持ちを噛み締める」
という言葉の通り、咀嚼したい気持ちがいっぱいで
その時その時に抱いた気持ちを思い出したいのに、思い出すことすら難しい。
「生きている」気持ちを抱けるのは、「いま」という時間を送っている時だけ。

8327959936_cf253d2001

今年1年はどんな年だったか。
一言で表すと、「「自分」がもどってきた年」になりました。
そして「素直に生きようと思えた年」でした。

私がそう思えたのは、本当に周りの人のおかげです。
1人ではここまでこれなかった。
1人では、自分が恵まれていることにも
自分の幸せにも
自分が不器用なことにも
自分の良さにも、悪さにも
気付けなかった。

ずっと、人への頼り方がわからなかった。
いつも自分を守ってばかりで、人に弱みをみせることや、傷つく事を恐れていた。
信じてくれる人や、守ってくれる人がいたとしても
「どうせ人間は裏切る」
「どうせ人間は自分の事を考えてしまう性なのだろう」と、
自分を守る事に必死だった。

自分を守るということは、少なからず壁をつくること。
「相手と向き合う」と言葉でいくら言ったって、
自分を守らないで相手と向き合える人は、そう多くはないように思う。

「人の話を聞く」事は、いってしまえば誰にでもできると思っている。
ただ、純に相手の事を想い、自分が傷つくことを恐れずに「聴く」事ができる人は
どれだけいるのだろうか。

人への頼り方がわからなかったのは、いつも心のどこかで自分を守る事に必死だったから。
相手が悪いわけでもなく、自分に原因があった。

相手のことを、純に「信じたい」ではなく、
まず「信じてもいいのかな」という想いが先行していたんだろう。
所詮、相手ありきの気持ちでしかなかった。

信じてもいいのかな
ではなく、「信じたい」

そう思えたときに、
自分が傷つく事を恐れずに、
「信じたい」という想いで動ける時に
自分が変わり、相手も変わるのだと、そう思った。

想い続けられる人は救われる

私がそう気付けたのは、
私のことを純に想い続けてくれる人の存在があったから。

表面的なものを求めるでもなく、
その人に向き合えず、自分が傷つくことを恐れ何度も逃げ出したにも関わらず、
「信じたい」と、想い続けてくれたから。
見返りを求めずに労力をかける事は、誰にでもできることではありません。
だからこそ、見返りを求めず、考えずに労力を割くことは「愛」なのだと
そう気付かせてくれる人がいました。

私は「相手と向き合う」という事の重さを知りました。

信じきる
信じ続ける
想い続ける
この3つは、私にはまだまだできていないことだけど
これらの素敵さに気付いたから、
だからもっともっと自分の全てで相手と向き合いたい。
もっともっと自分と向き合いたい。

今年も無事に年を重ねられて幸せでした。

生きていることに
感謝できる人がいることに
幸せだなあと思える日々をおくれることに
悩めることに
葛藤できることに
好きな人が増えたことに
好きな処が増えたことに
感謝しています。

2012ありがとうございました*
良いお年をおすごしください!

広告

想い続けられる人は救われる-気付けた2012。」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: 2014年は、もっと人に対して全力で真摯に向き合います。 |

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中