優しさの派生について-他人と自分

「優しさ」や「相手を想いやること」「向き合うこと」、
それが派生するのは
相手のことを思っての気持ちからなのか?
はたまた、
自分を守りたいという気持ちから派生したものなのか?
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常に私は他人のことを考えて生きてきた。

相手が本当はどう思っていて、
何を望んでいるのか。
相手が喜ぶなら、自分の身をすり減らすことも厭わなかった。
自分が犠牲になってもいいと思っていた。
相手の発する言葉の裏にある意図を汲み取る能力だけは、発達しているように思う。

ただ、他人に対する私の優しさは自分の余裕と比例していて、
自分の余裕がない時は他人への思いやりの気持ちがどうしても減ってしまう。

私は、他人のことを考えて生きてきた”つもり”になっていただけかもしれない。
そう感じた時に、全てが崩れる気がした。
他人の事を想いやろうとしていたのも、
自分を守るため?
自分が傷つくことがこわいからだったの?
なんて問いが、頭の中をぐるぐると回っていた。

それは、
相手のことを本当に想っていたら、
「思いやり」は自分の余裕と比例しないように想うからだ。
「優しさ」を自分で調整して、
自分のキャパに合わせている気しかしなくなってきた。
自分を守るためにそれを行使して、その壁をこえられていない。

相手のことを純に想えていないのか、と自分に対して腹立たしくなった。

私にとって「自分を守る」とは本能的な部分であり、
意識しても、意識しても、すぐにはなおらないところ。

だからこそ自分と向き合い、
ゆっくりと丁寧に時間をかけて、殻を破っていきたいと思う。
生きていくにあたって、必要最低限なことでもなければ、緊急性を要することでもない。
余裕があるからこそ、悩んだり考える時間が生まれる。

根本まで突き詰めることは、遠回りにみえるかもしれない。
けど、自分の根っこの部分を大切に育てていきたいと思うからこそ、ゆっくりと向き合いたい。
そしてここはこだわってしまう性分なのだろう、とそう感じた。

生産性も特になく、本当に必要なことなのか?
と、疑いたくなる時だってある。

けど、私はこうやって1歩ずつ進んでいくんだと思う。
そうやって進んできた20年間。
ゆっくりと、時間をかけて向き合っていこう。

病んでいるわけでも、悩みすぎているわけでもない。
ただただ自分が必要としていることに、
やっと腰を据えて、労力と時間を割こうとしている。

肩の力ぬきつつ、また頑張っていこう。

そして最近はミスチルさんのand I love youが染みます。笑

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優しさの派生について-他人と自分」への3件のフィードバック

  1. ピンバック: 昨日の続きをほろり-ただの呟き |

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