私が教えてもらったこと-「信じたい」という気持ち

以前も記事に書いたから 再度になってしまうけど、本当に自分にとって大切なこと。
「信じてもいいのかな?」ではなく、「信じたい」と想う気持ちが大切だという事に気付けたのは、
私のこの1年間で本当に大きいことだった。

・裏切られたらどうしよう。。
・見返りを得られなかったらどうしよう。。
・受け入れられなかったらどうしよう。。。
なんて、思ってしまう事は、人と向き合う上で少なくともあるのかもしれない。

相手に原因を求めてしまうことや、相手を求めてしまうことを考えてしまうのは、
結局自分の、「相手を信じたい」と思う気持ちが薄れているからだろう。
そのときは相手に対して、「信じてもいいのかな」という気持ちが、
純な「信じたい」という気持ちに勝ってしまっているのだろう。

信じるという事は、スキルでもなんでもない。
誰にでも元々備わっている力だと私は思う。

それが、生きて色々な経験をすることによって、
愛も苦も感じていくことによって、
様々な感情を味わうことによって、
「純粋でいられない」
「人のことを容易に信じられない」なる想いを抱くのだろう。

ただ、生きていくにはそれを越えられる転機がくるはずだ。
それを越えた時に、”人のことを心から信じたい”と思えたりするのかもしれない。

「人のことを容易に信じられない」
というのは、特に、長女などの責任感を求められていたポジションにいた人や、
幼少期に傷つく経験をした人に強い傾向にある気がする。

もともとは「人のことが好き」で、人のことを信じていて、ただ、「裏切られた」
という経験をもつ人は結構いたりするものだ。
だから、「人のことを容易に信じられない」と思っていたとしても、元々は「人が好き」な人。

だからこそ、本来の自分との差を感じて、葛藤してしまうのかもしれない。
そして、「変わろう」と努力し始める。
”傷つくのがこわい”から、葛藤も多いにあるだろう。

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「相手に余裕がない時に、自分がどういった行動にでるのか。」
ではなく、
「相手がどうであったとしても、自分は信じたい。」
という想いを私は大切にしたい。
そして、それをどれだけ分かってもらえなかったとしても、続けられた人が救われるんだと思う。

「見返り」を求めるのは、ビジネスには必要かもしれない。
人と付き合ううえでも必要かもしれない。

たとえ騙されたとしても、その相手を信じたいと思うのは、ただのお人好しなのかもしれない。
それでも「信じ続けられる人は救われる」と思っている。

それは、私が存在できている理由に繋がるから。

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