嫌悪感や違和感は「好き」のキッカケ

「嫌い」な面に囚われて、「嫌い」って切っちゃうのは、あまりにももったいない。
世界には限られた人しかいなくて、人生で出会える人も無限ではないのに、
そのせっかく出会えた1人を嫌うよりも、「好き」な人を周りに増やせばいい。

と、こんな記事を以前書きました。

今日、自分のすごく好きな人と話している時に、
「嫌悪感ってどんな時に感じる?」なんて話に。

「嫌悪感って、【自分はできないなあと思う事を他人がしている】時に感じるんだよね」
と、その人は私に言いました。

その時に、腑に落ちるものがあって、
「嫌悪感や違和感は、「好き」のキッカケになるもの」なんだなと
感じた、その事について今日は綴ってみたいと思います。

「どんな人のことが好き?」
「どんな人と一緒にいたい?」
そんな質問をした時に、「自分の話が通ずる人」「自分のことをわかってくれる人」と答える人は少なくないように思う。
だから、自分と似てる人がいるコミュニティを心地よく感じたり、
自分と似ている人に好感を抱くのだろう。

だから、自分の話が通じない人や、自分の理解をこえる話をする人や、理解できない行動をする人に対して、嫌悪感や違和感を感じてしまうのかもしれない。

でもそれは、自分が生きてきたなかで、経験したことがない事や考えた事がないことに触れた時に、「その人の気持ち」を想像できないからだと思う。

それって、見方を変えれば、自分が知らない世界を知っている人に出逢ったということ。
自分が抱けない感情をもっている人に出逢ったということ。
それって、すごく素敵な事だと思う。

人は誰しも、新しい世界に入る時に違和感を感じると思う。
それは、居心地がよくないところなのかもしれない。

けど、気付いたらそこがホームになっている。
気に食わないなあと思っていた人が、すごく自分にとっておもしろい人になっている。

そんな時って、自分にも結構ある。
だから、違和感を感じる人に、私はすごく興味をもつ。
自分の知らないどんな世界をこの人は見てきたんだろう?って。

だから、「嫌悪感や違和感は、「好き」のキッカケになるもの」って今日改めて思ったし、
そういった感情を大切にしていきたいなって思った。

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「好き」だからこそ「愛する」というのが、多くの人が抱く考えだと思う。

たしかに好きなものには、嫌いなものにない魅力があって、「価値」がある。
けど、そうやって自分の価値観で物事を判断するまえに
自分の好き嫌いを離れて、
「そのもの自体の価値があること」要するに、
自分の利害と無関係に、その人自身に価値があること気づけた時に、
はじめてわたしたちは愛というものの本質が理解できるのではないでしょうか?

そんな事をブログに書いていた去年の7月。
偉そうな奴だわ。笑

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