2年間の変化を通して-自分らしさとは。

この2年間は、自分にとってとても大切な時間でした。
そして、たくさんの事を考えて、「自分を失い、さまよい、戻ってきた」2年間を過ごしました。
今日は本当に自分の気持ちの整理のためだけに言葉を、綴るというよりも吐きます*

TwitterやFaceBookのアイコンは2年前の写真なのですが、比べてみるとわかることがあります。
・顔が大きくなったこと
・ワンコはそのままおでぶなこと
・前髪を巻くようになったこと
外面的な変化はこれくらいでしょうか。
yurariku2
ごめんなさい、ふざけました。

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東京に出てきて、はや3年。
変わらない事もたくさんあって、変わった事もたくさんあった。
そして、変えるべきではない事まで変えようとしていた時期もあった。
私にとっては全ての時間が不可欠で、すべての積み重ねがいまの自分を創っていると自信をもってそう言えます。

幼稚園の頃から、他人の事しか考えていない子だった。
幼稚園に行きたがらない子の家を毎朝まわって、靴をはかせ、登校を促すというおせっかいぶり。笑
それが相手にとって1番だとその時の自分は思っていたのでしょう。
それはただのオナニーな優しさだと今は思います。

そんな幼少時代を過ごして
中学生
高校生
本当に好き勝手に生きてきました。
けどそのなかでも大切にしていたことは
「相手は本当はいま何を望んでいるんだろう?」
「この空間にどんな存在が必要とされているんだろう?」
「自分が何をすることによって、誰が喜ぶんだろう?」
なんて、そんな事ばかり考えて生きてきたのです。

そんな自分が壁にぶちあったのは2年前。
「あなたは「人」が根本にあって、自分のしたい事を考えているけど、
 一旦それをやめてみて。
「あなた」はどう思うの?なにを考えているの?」
と聞かれて、私は何も答えられなかったのです。

「人」の事しか考えないで生きてきたロジックが崩れた瞬間でした。

それからというもの、「自分」は何を思って生きているんだろう?
「人」に合わせて生きてきたけど、「自分」は何がしたいんだろう?と。
「自分」「自分」と、意識して考えて悶々とする日々を送るようになりました。

そうして哲学に行き着きました。
「生きる」事や「幸せ」という事について考える機会が増えたのはそれからだなと思います。

1年くらいずっと、自分がなにを大切にして生きているのか、何がしたいのかわからなくなり
路頭に迷い、さまよい続ける時間を過ごしました。

そうして気付いたのは「「人」の事を考えて生きるのが「自分」だと。」
自分のしたい事は、結局そこだと、行き着きました。

悩んで葛藤する時間を過ごして、結局行き着いたのはそんな原点でした。

人のために生きる事が偉いだとかすごいだなんて一切思いません。
それはただ単に自分のしたい事だから。
だから、自分のしたい事をしているだけなのだと。

ただ、「自分だけが幸せな世界」じゃつまらない
私が心地よさを感じるのはそんな世界じゃない

だから、1人でも多くの人が居心地良い空間を感じられる世界を作りたいと思うだけ。
結局それって、「他人のことを考えている」ってよりも、自分がしたいことをしているだけ。
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シンプルに考えればいいと思うのです。
みんな、自分がしたい事をすればいい。

私は、他人のために生きる自分が好きで、だから人のためならなんでもできて、
でもそれって、結局自分が好きなんだと思う。

「他人のために」頑張ったり、無理しているんじゃなくて、
「他人のために頑張る自分が好きで、そんな自分のために」頑張っているって言えて、
自分のことを大切にできる人が増えれば、なんだか随分と良くなると思うんだよね。

そんなことをぼやいて、今日はもうおやすみなさい。

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2年間の変化を通して-自分らしさとは。」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: 相手に向き合う事と、人を信じる事と、自分について話す事。 |

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