他人と接するなかでの、自分の「個」

自分の「個」に気付かない時は、他人が必要以上に気になります。
しかも、それはマイナスの気になり方な気がします。
他人を気にしているときは、自分にとっての競争相手としてのみうつり、愛の対象にはなりにくいのかもしれません。
他人が自分のものさしである限り、自分の価値はとても不安定であるように思います。

他人より優れようと思うな
他人と違う人になれ

自らの価値にめざめた人は、他人の価値にも同様に気付ける人であると思います。
そこに、他人に対する愛と尊敬が生まれてきます。

偏差値をもって、自分の価値だと教えられ、そう思い込んでいる子ども達が多い。
いま子どもたちに絵を描かせても、「褒められようと」絵を描く子どもが多いそうです。
自分の価値の提供を、「他人」ありきでしている。
そこに「個」はないように思います。

なんという学校を出たか、どういう会社に勤めているか、身分、財産、容姿を、
そのままの自分の価値と等価視しているしている人たちが、少なからずいるように思います。

ひと 見るもよし
ひと 見ざるもよし
われは咲くなり

人間は誰しも、見てもらえれば嬉しいし、ほめてもらえば一層嬉しくなるのは当たり前かもしれない。
「ひと 見ざるもよし」と言い切る自信を、どれだけの人がもてているのでしょうか。
しかも、そういう環境の中で、すねることなく、いじけることなく、美しく「咲く」こと、
これが個の確立した姿なのかもしれません。

生きる自信を失っている人が、少なからずいるように思います。
自分の価値に悩む人が、少なからずいるように思います。

そんなことを感じさせるこの競争社会にそもそも問題があるのかもしれないけれど、
1人1人と向き合う中で、自分は相手を必要に、大切に思っている、という事を伝えられるココロが、
いまの我々には必要なのだろうと私は思うのです。

はいさい、今日もここらへんでお仕事頑張りますかな(´ω`)

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