「自分を守って生きる」事の先

はいさい、見事に体調を崩している坂本です。
だけど書きたい事があるからぽけーっとパソコンの前に座っているのであります。

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人間というのは、誰しも防衛反応をもっていると思う。
そして、「人」と関わる時、自分を守ろうという意志は働いているもの。

傷つくことはこわい。
過去のトラウマなり、これまで経てきた時間を振り返った時に、傷ついた事のない人なんていないと思う。
傷つくことは「辛い」し苦悩する事にまず直結する。
その時間を乗り越えて、人は理解できる事が増えていくのだろう。

自分を守る事がだめと言いたいわけではなく、
あなたは、自分を守っている事実に、気付いていますか?
ということ。

自分を守るという深層心理に気付いて、「人」と接せられている人は少ないように思う。

「人」を求める人が多い。
そして、「寂しさの埋め合わせ」を人は基本的にしているように思う。

私はこれまでたくさんの人を傷つけてきた。
恋愛に関しても、身近な人に対しても。
それは「自分を守る」がための行為でしかなくて、ただその相手に向き合っていたかというよりも
「寂しさの埋め合わせ」をしていたように思う。

私も自分を守ってきた。
傷つく事がこわかった。

自分を守る事は、悪い事ではなく、人間としてすごく必要な事だと思う。
ただ、そこに気付いて行動できているか否かは、とても大きな違いだと思う。

自分を守ってるよね?
という問いに対して、
「はい。」
と素直に答えられる人はどれだけいるのだろうか。

その事をまず自分と向き合って落とし込めて、初めて相手のことを考えられるのではないだろうか。

思いやりの本質とは、中心を他に譲るということな気がする。
たしかに、自分と照らし合わせて、そこからしか出発しないものでもあろうけれども、
あくまでも、自己満足でないところに到達したときに、はじめて「真の想いやり」になるのはないだろうか。
そのためにはまず「個」が確立する必要があるように思う。

自己が充足し、自分が危うくない人にしてはじめて、他人を先にするゆとり、他人と異なって構わない安心感が生まれるのではないのでしょうか。

自分が、どれだけ、知らない相手をも傷つけているかもしれないことに対して、すまないという想いを抱く事に対して、傲慢になりたくない。
真の思いやりとは、自分に対して、やさしさを持った人がなし得る行為だと思う。

なんて事を考えているけど、もうちょっと落とし込んで書き直したいから、
またこの事に関しては後日言葉を綴りましょう(´ω`)

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「自分を守って生きる」事の先」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: 相手に向き合う事と、人を信じる事と、自分について話す事。 |

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