「前に進む」という事。

やっとパソコンが手元に戻ってきたので、感情の赴くままに文字を綴ってみる。
いまの私に、相手に文字が届くまでをイメージしながら綴る事は、少し厳しいみたいだから、
思うがままに、ぽろぽろと言葉を紡いでみる。

13年間ずっと想像はしてはいた、“いつ来てもおかしくはない、1番きてほしくなかった日” を迎えてから、早1週間が過ぎた。
時間というものはとても残酷で、周りの背中を押しながら、わたしの事だけを置いていっているような感覚に陥る。

・アメリカに行くこと
・学校を休学して5年間で卒業すること
・大好きな人たちと飲んで騒ぐこと
・愛する人と時間を過ごすこと

全部やろうと思えば、今この状況でもできると思う。

ただわたしは今回、「歩みを止めてみる」という決断をした。

今まで、まるで生き急ぐように、いろんな環境に飛び込んでみた気がする。
文字通り、“がむしゃら” に生きてきた。
「やりたい事」がいっぱいあるからこそ、それを1つずつ、時には2つ一緒に叶えようとしてきた。
ただ、それは近道なように思えて、そうではなかったのかもなあと今の自分は思う。
そして そんな生き方をしてきたからこそ、今回の「全てをやめてみる」という決断は、とてもとても怖い。

自分は何もスキルを身につける時間にするでもない間も、周りは着々と結果を残そうともがいているのだ。
普段周りと自分の事を比較することのない自分だけど、不安定なこの時は、余計にノイズとして気になってしまう。
自分と周りを比較して、落ち込んで、なんてそんな明らかに意味のない事を、してしまうのだ。

ただわたしが今後「前に進む」には、「歩みを止める」というステップは不可欠なように感じた。
一旦、全てから距離をおいて、俯瞰的にみてみる。
その時にはじめて見えるものがあったり、その時に今までしてきた事がある1つの道をなすのかもしれない。

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そんな事言ったって、必死に生きなきゃいけない。
守るべくもののためにも、お金をうむ必要があるし、働かなきゃいけない。
甘えた事は言ってられないのは現状。

そして、それよりなにより、起こった事象を全く受け止めきれていなくて、
丁寧に1つ1つを落とし込む必要があると思っているから、全てをやめたというのもある。
“いま” 優先すべきことは、「アメリカにいく」事ではなかったし、
家族との時間を大切にする、だとか
おかんの心ともっと対話する、とかだったから。

だから、丁寧に、丁寧に時を刻んで向き合います。

そして、「向き合う」ということは、「引きこもる」ということではないということ。
ただ「殻に閉じこもる」のでは何も意味がないということ。

自分の深いところまで落とし込んで。本質を見極めること。
みえてくるものがあると思う。

這い上がるまで、気が済むまで、とことん丁寧にみつめてこようと思います。

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