心から信頼する先にあるもの

この記事を読んで、今回は思ったことを綴ってみる。
ぼくは誰かを、心からは信頼しないし、されたくもない

彼を直接フォローはしていないので、たまにRTでまわってくる時に読んだりする。
けど今回の記事は、全然自分とは違う考え方だなあと思ってしまったので、
ここから自分の思う事を派生させて書いてみる。

「あなたに任せます」と信頼はするのですが、
その裏では「まぁ、こちらの期待過剰かもしれないので、思うような結果が出なくても、それはわたしの見る目がなかっただけの話だ」
という諦めを、同時に抱くということです。
そう考えれば、もし信頼を裏切られたとしても、無用な怒りに囚われることもありません。

ここの部分を読んだときに、私はとてもびっくりしてしまった。
確かに、「信じる」ということは、「裏切り」や「報われない想い」が付随します。
ハヤトさんの言っている事ももちろん分かるのだが、諦めや見切りをつけるのはあまりにも簡単であり、誰にでもできることだと彼に言いたい。

「相手がどうであったとしても、自分は信じたい。」という想いを私は大切にしたいからこそ、彼の記事は共感できなかったんだと思う。
そして、この生き方を貫き通すには、「裏切られる事を ”痛い”と思わないくらいの力」を自分につける必要があるということ。

相手に原因を求めてしまうことや、相手に見返りを求めるのは、
結局自分の、「相手を信じたい」と思う気持ちが薄れているからだろう。
それは、相手の力不足だとか、そのときは相手に対して、「信じてもいいのかな」という気持ちが、
純な「信じたい」という気持ちに勝ってしまっているのだろう。
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たとえ騙されたとしても、その相手を信じたいと思うのは、ただのお人好しなのかもしれない。
一見遠回りに見えてしまう事かもしれない。
それでも「信じ続けられる人は救われる」と思っている。

みんながみんな、「人は信じきれない」なんて気持ちで接していたら、この世界はあまりにも悲しいから。
「信じたい」という気持ちをもてる人が先行するとして、
その人のおかげで「信じても良いのかな」という人が、人付き合いなどに希望を見いだせたりするんだと思う。

「信じたい」という気持ちをもつ人は、時によっては損をするだろう。
だけれども、その人の存在があるからこそこの世界はまわっていると私は思うし、そう信じ続けていたい。

相手のことをいつでも信じられて、それが常である。
という状態はベストなのかもしれないけれど、
それが常ではないからこそ”自分に力をつけたい” とただそれだけ思う。

一方で、「期待したり、見返りを求める」ことは確かに「信じる」ことに付随すると思う。
人間は完璧な生き物ではないんだから、
期待する→裏切られる→諦める
ではなくて
期待する→裏切られる→信じ続ける
ができる人でありたいと思う。

「信じる」ということは、ビジネスでいえば「投資」とかにもつながっていて、
“目の前の利益目的” だけではなく、その先の可能性を信じられる人はかっこいいと思う。

そんな人になりたいし、そんな人でありたい。

いくら頭でわかっていたとしても、力がないと何もできない事は痛感しているので
頑張るしかないって結論にいつも至る。
そんな思考のスパイラル。

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