心に届く言葉を−1人1人を大切に。

久しぶりに言葉を綴ってみる。
やはり人と話す機会がないと、自分のなかで生まれるものは自分のなかで消化するしかなく
そんな生活を繰り返していると、文字にする機会もなかなかない。
あ、15-19は東京で予定が少しあるので、戻ることにしました(´ω`)
(さらっとここで言ってみるやつ。笑)

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ブログを書くにしろ、Twitterで何かつぶやくにしろ、それは “届けたい相手”を思い浮かべて文字を綴らないと、
結局誰にも届かない陳腐なものになってしまうのだと思う。

いくら大衆受けする事を言ったとしても、いくら “みんなが”共感できる事を言ったとしても、そのことを実感できないと意味がないのだとつくづく感じる。
実感するためには、”思い浮かべた人への” 心に届き、身に沁みる愛情が必要なのだろう。

TwitterのTime Lineを見ていて、「薄っぺらいなあ」とか、「重みが言葉にないなあっ」て思う時は、
「大衆受け」を狙っているだろうなあなんて気がする事がある。

私も以前はお恥ずかしい事に、「これはウケるでしょ!」なんて呟いた言葉で、結果的にフォロワーが減るなんて事があったものだ。
そんな不自然な事をわざわざしなくても、
その人1人の存在を認めるような、そんな言葉を綴ると、不思議と共感する人は多いように思う。

http://ameblo.jp/yurachim-1225/entry-11233600493.html
この記事を書いたときなんて特にそうで、ある1人に届いてほしくて必死に書いた覚えがある。

yura6

言葉を綴るときは、読んでもらいたい相手を明確に頭に思い浮かべること。
それがたった1人でもいい。
「あの人に言葉が届けばいいな」なんて、頭に思い浮かべながら記事を書けば
それが結果として他の人にも刺さるようになるのではないだろうか。

私がくさいことを呟く時は、たいてい自分のために呟いている時。
自分が気付いた事を、忘れないために言葉に落とし込んでいるだけ。

少し話はずれてしまうんだけど、、、、
つくづく思うのは、人生で出逢う人はたくさんいるとして、
大切なことは、そのなかでどれだけ1人1人と向き合えるかってこと。
いくらたくさんの人を知っていたとしても、”数”じゃない。
自分が困ったときに、どれだけの人が助けてくれるかって。
人は、”数えるもの” ではないと思っています。

“人の数の多さ”の意味で使われる、いわゆる “人脈”なんて言葉は、すごく不快。
そんなの表面的な権力でしかないのに、最近は、人の数もお金で買えるようになってしまって、そんな業者も増えてきていることに
私は人の繋がりの薄さを感じてしまう。
それを優先する人はすればいいと思うのですが、人間大切な事を忘れてはだめだなあと、思う。

Facebookの友達も気付けば2000人を越えていてびっくりしているが、
会った事がないのはそのなかの1%であって、その他はどこかでご縁があった人たちだ。
そういった、大切な人たちを “広報手段”としてあまりに軽んじる人が多いように思う。
告知や広報も、よく頼まれたりするが、その頼み方ももう少し考えてほしい。
なんていうのは私のわがままかもしれない。
けど、「人脈」といった言葉を、あたかも “人の数”だと認識している人はもう1度考えてほしいと強く思う。

そう感じる事が最近とても多いので、ちょっと書いてみました。
私もまだまだ1人1人を大切にできていないところがあるからこそ、最後は自戒の意も込めて、になりました。

困ったときに、1人でも多くの人が助けてくれるような
誰かが困っているときに、全力で助けたい・力になりたいと思うような
関係性を創っていきたいなあと思う。

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