「環境」と「自分のがんばり」について考えてみた。

インターン生に、「ゆらさんより僕の方がブログ書いてますよ」
って言われました坂本です。
けどその子は公開せずに下書きしてるので、
ちゃんと公開しなさいと言っています坂本です。

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苦しんだから報われると思っていたら大間違いでしょう。
同じ苦しむにしても、考えて苦しまないと。
なにも考えないでただ苦しんでいても
ダメだということですね。
こんなに苦しんでいるんだからというところに逃げ込んだら、
いつまでも違う自分は現れない。
とにかく考える事ですよ、無駄な事を。
無駄な事を考えて、言葉にしようとしているうちに、
なにかがパット閃くことがあるんですよ

これはイチローさんの言葉です。

苦しんだ分と、報われる分って、比例しているようで比例してないのかもしれない。
この言葉を聞いて、そう思いました。
多分、「成長」するってことは、
自分と向き合ったり、それまでの自分を越えるって事だから
「苦しむ」事は必要なのかもしれないけど、
「苦しんだ」から必ずといって「成長できている」かというと、違うのかなあと。
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こんなに頑張っているんだから認めて!
とか
こんなに苦しんでるんだから自分は頑張ってるでしょ!
って主張するのは、違っていて。

「頑張っている」とかって結局他人目の判断になると思うんです。
自分で言うことでも、主張すべき事でもない。

それに加えて、「頑張っている」って認めてもらったとしても、
自分のためになっているかって、
ただの慰め程度のものなのかななんて思います。

そのステップに留まるのであれば、褒めてもらったり、
認めてもらう事は”嬉しい”事になるのでしょうが、
「実」がついていない状態で、上辺の言葉だけかけられても
何にもならないと思ってしまいます。

個人的にですよ!

個人的に、卑屈な自分は、本当の意味で力をつけるまでは
誰にほめられても
誰にけなされても
多分、自分の力のなさを責めるだけになってしまうので、
着実に力をつけていくしかないと思うのであります。

どんなに素晴らしい環境に自分がいたとしても、
環境が与えてくれるものって「1」
でしかないと思っていて。
それを「100」にするか、「0」にするかは
自分の行動でしかなくて。

だから、どんな環境にいたとしても、自分をしっかり持つ人って、
「成長」する環境を自ら創り出す事ができると思うんです。

環境のせいにするな
人のせいにするな
考えてみれば、全て自分のせいにできる。

さて、今日も3時26分。
何書いてるかまとまりがなくなってきたところで、
そろそろお家に帰りましょうか(´・ω・`)

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